03年末池田は地元のバンドのレコーディングにエンジニアで参加しており、
play of colourの作業に戻れずその間に田渕が作ってあったパーツを
年明けに池田がさらに展開させて完成に近づけた。
二人で「これはモグワイっぽいね」と話していたが
この曲が完成するまで二人ともモグワイを全く聞いた事がなかった…。
池田のグランジ系のギターと歌に田渕系エレクトロニックトラックという
play of colour結成以前お互いが別のベクトルで作っていた曲を一緒に
鳴らすと何故か結構良かったという曲。
しかもものすごいペースでアレンジがいろんなジャンルにめまぐるしく変化する。
聴くモノが油断し気を抜けば振り落とされるこのジェットコースターアレンジは
後にplay of colourの得意技になる。
quest
池田がplay of colourのpop面における最高傑作の一つに挙げる名曲。
play of colour結成草案を池田が閃いたとき(2003年10月頃)すでにこの状態で
完成していた。
始まりの一曲でもある。
F120
田渕制作。
池田がいろいろ弾いて足す。
なんとなく作業がずっと続いていた曲。
完成するまで達成間も実感出来ずにずるずるしてたが
今聴けばその後のplay of colourの持つ多面性のうち一つを決定づけた一曲。
MEM DUMP
池田が19歳のころ作曲した曲のplay of colourバージョン。
前半、生のドラム、後半は田渕制作リズムトラックとリズムに主張があるが
おかいまいなく全てを覆い尽くし襲いかかる池田の轟音ギター。
曲の終わりに出てくるピアノは池田曰く
「高度な音楽理論や声楽を学ばないと出来ない難解なオーギュメント分散コードだ!」
とのこと。